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2007年7月15日 (日)

●ボタンとボタンホール

十字軍の遠征のころに、ボタンホールがヨーロッパに伝わったと言われています。

このころの欧州人はまだ、袖や合わせのない、上からかぶる様な服を着ていました。それに比べると西アジアの人々は、その時代にすでに、ワイシャツの原型となった「ガラービア」という、袖もボタンもついた服を着ていました。

一説によるとボタンホールは南フランスで作られ始めたとも言われますが、十字軍の遠征により西アジアから伝わったと考えるほうが無理がないでしょう。

ボタンホールがない時代に、欧州人たちはどのようなボタンを使っていたのでしょうか?

ダッフルコートには、「トグル」もしくは「ダッフルボタン」と言われる、生りの大きいボタンがついています。これらのボタンはボタンホールを使用することなく、ボタンは紐やチェーンで服に留められることから、この形になったわけです。

Andalbb16~17世紀にかけて、オランダやスペインの南部アンダルシア地方で使われていたボタンは、「トグルボタン」や「アンダルシアボタン」と呼ばれ、このボタンのように本体に細いバーが取り付けられ、現代のボタンホールとは違って一文字ではなく、ただの服に開いた穴に、ボタンではなく足を通して服を留めていました。今のカフスボタンを思い浮かべていただければ、その使用方法は明らかです。12世紀ごろにはヨーロッパに伝わったものの縫製が難しく、ボタンホールはなかなか普及しなかったことがわかります。

003ボタンホールに通す必要がないので、ほとんど球体に近い厚みのある装飾性豊かなボタンが多く作られ、男性貴族たちの豪華な衣装を装飾していました。このボタンは「ハンガリアンボタン」と呼ばれ、その特徴は、ルビーやターコイズ、エメラルドなどの宝石がちりばめられていたことです。

技法も複雑で、「寄せもの細工」と呼ばれ、立体的にカーブさせたメタルのパーツを何枚か寄せ合わせた球状に仕上げたもので、中は中空でした。透かし彫りが施されているため内部まで見通せる事から、細密に仕上げられた究極の職人技のボタンでした。

ボタン百物語 その9  by button curator

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