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2007年7月15日 (日)

●日本語の「ボタン」とは?

日本は着物の文化です。着物を留めるのは紐や帯で、ボタンと着物は結びつきません。

では、「ボタン」という言葉はいつ頃から日本人に定着し、「ボタン」の存在が日本人の周知するところになり、日本の文化や生活と結びついたのでしょうか。

日本人が最初にボタンに接したのは、鉄砲伝来の頃にさかのぼります。鉄砲を日本に持ち込んだのはポルトガル人ですが、当時から当然ボタンのついた服を着ており、外来語としてポルトガル語が元になった、襦袢やタバコとともに、この頃に「ボタン」も日本に伝わったわけです。

江戸の中期には、儒学者貝原益軒や、政治学者新井白石の書籍にボタンが登場します。故実家伊勢貞丈(1717~84)の「安斎随筆」には、“和蘭国にてはコノブと言ふ、ポルトガル国にてはブタンと言ふ、それを言ひたがえて日本にてボタンと言うなり”と言う記載があります。江戸後期には、庶民もボタンを認識していたと考えていいと思います。

ところが、「ボタン」と言う表記は定まりませんでした。今の中国では「紐扣や扣子」と表記され、台湾では「紐釦や釦子」と書かれます。

Photo明治3年、西洋式の軍服が初めて採用され、当時の太政官布告により、ボタンのことまで詳しく記載される中で、その表記は、服に開いた口に、金属でできたボタンを通すと言う意味から、「紐釦」の一文字を当時の兵部大輔、大村益次郎(1824~1869)が採用して、「釦」と表記し、現代に至っていると言われています。

森鴎外は、20年も忘れ去られた金ボタンによせる思いを、詩にまとめていますが、その表記は、「扣釦」としています。

その後も「紐釦」「釦」「扣」と、表記は定まりませんでしたが、現在ではボタンを漢字で書く場合「釦」と表記しています。

さすがに、中原中也の時代になると、彼の詩「月夜の浜辺」の中でも「ボタン」と表記されるようになりました。そのまま現在に至っています。

ボタン百物語 その8  by button curator

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