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2012年4月18日 (水)

●卒業式の第二ボタンの起源とは?

毎年卒業シーズンになると取り沙汰される第二ボタンのこと

実は起源はこんなところにありました。

1960年公開の「予科練物語 紺碧の空遠く」(井上和男監督松竹)で、原作の小説「一号倶楽部」(獅子文六)にはない、第二ボタンを女性に渡すシーンが、監督の創作により挿入されました。

この映画の公開から、卒業式に思いを込めて女性に第二ボタンを贈る習慣が始まったと考えられます。

小説で描かれる予科練の軍衣には、前ボタン七つの軍服が採用され、「七つボタンは桜に錨」(若鷲の歌)と歌われるように、予科練生の象徴であり、当時の少年たちの憧れでした。
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<画像は海軍大尉の礼服>

映画では以下のように描かれています。

一号倶楽部は若き予科練生たちの安らぎの場で、自宅の二階を倶楽部に解放していた石渡竹は、予科練生たちの母代わりとして、多くの予科練生に慕われていました。
竹の姪の雛もまた予科練生たちと仲良しでした。

特攻隊志願の予科練生山川は、8月15日朝、終戦を迎える前日に命令によって出撃して行く際、雛に胸の第二ボタンを引き千切って渡したのです。

このシーンは、松山善三の脚本にも〈ボタンを渡す〉としか書いてありません*。

井上監督は、2008年の自伝で、
「追いかけてきたおヒナちゃんと山川が出会う橋の上。
死地に赴く山川には、形見として渡すものは何もない。だから、胸のボタンを千切っておヒナちゃんの手に握らせるんだ。
二人が両手で握りあう一つのボタン、それこそ桜に錨の金ボタンです。
18歳と14歳の〈生死の別れ〉、まあ、ボクの〈純愛表現〉でしょう」*。

また、なぜ第二ボタンかの問いに、
「だって心臓に一番近いボタンでしょ。山川のハートですよ」*と答えています。

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終戦後に残された者たちに、山川が雛に贈った第二ボタンの桜に錨は、多くの思いを去来させたのでしょう。
それが当時の若者に受けて、卒業式に胸の第二ボタンを男性から女性に心をこめて贈るという習慣に発展して行った訳です。

実はこの習慣はブルボン王朝の頃からすでにありました。
貴族達はその上着「アビアラフランセーズ」の華麗なボタンを箱に入れて保管し、心をこめて代々引き継いでいたのです。

* = 映画論叢19=2008年11月20日国書刊行会発行の井上和男氏著「紺碧の空遠く」をめぐって

ボタン百物語 その16  by button curator

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