●時代をつまびらかに語るボタンたち
ファッションを表現する言葉は、モード、ブーム、トレンドなどすべからく「はやりすたれ」を秘めた言葉である。文字通りファッションは時代の流れに翻弄されてきた。国が繁栄すると、ファッションは派手になり、ボタンやバックルの装飾性は華美になる。そしてその大きな波は100年単位で繰り返される。
18世紀のフランス貴族たちのファッションは優雅を極め、1715年のルイ14世によるペルシャ使節謁見時の衣装には、1250億円の粒よりダイヤが施され、のちにサン・シモン公は「王はその重荷のために逝去された」と回顧録に残している。服飾史家の中野香織氏は、そのダイヤはボタンに施されたと分析する。ボタンやバックルには惜しみない工芸技術が投与され、ガラスのイミテーションダイヤ「ペーストボタン」や、鋼鉄のダイヤ「カットスチール」などのボタンやバックルで飾られた上衣や靴が、晩餐会や舞踏会の注目を集めた。やがて世紀末のフランス革命により、貴族社会は崩壊し、優雅なボタンやバックルはその存在価値を一瞬で失い、表舞台から姿を消す。
19世紀の後半は、イギリスがビクトリア時代を迎え、産業革命に裏付けされた経済の発達を遂げ、ファッションも再び脚光を浴び、黄金期を迎え、装飾性は華美になって行く。最愛の夫アルバート公を早期に亡くした女王は、喪服を長年着衣され、女王のすぐれた容姿とともに黒いファッションが高貴な色として定着し、ジェットを模した「黒ガラスボタン」が一世風靡した。産業革命に後押しされ、ガラスの工芸技術も頂点を極め、世紀末にはビクトリア時代の宝石のようなボタン「ビクトリアンジュエリーボタン(英:Victorian Jewels、米:Gay Nineties)」の登場でファッションは絶頂期、爛熟期を迎えるが、やがてそれも女王の崩御とともに世紀末に終焉を迎える。
20世紀は1968年の五月革命を機に、三宅一生、川久保玲、山本耀司などが世界で認められ、確かな縫製技術とともに日本のファッションが世界を牽引し、90年代のバブルへと導く。貝ボタンやセルロイド、ベークライトなどのプラスティックや、メッキパーツの組み合わせボタンなど、大きなサイズのカラフルなボタンが数多く作られ、バブル期のファッションに彩りを添えた。
このようにファッションが100年のサイクルだとすると、今はどのような位置づけか。
1867年のパリ万博に幕府が初出展したことは、日本の文化が鎖国を解かれて世界へデビューするきっかけとなり、産業革命の機械化を伴わない日本の手作り工芸品が脚光を浴び、ジャポニズムのブームがアールヌーボーに引き継がれ、やがて今日のほぼ100年前にはアールデコが台頭する。一次大戦の閉塞感からの解放と、バレンシアガやシャネルにより、18世紀以来のキャミソールの締め付けから女性も解き放たれ、1920年代になるとベティーブーブのモデルとなる「フラッパー」と呼ばれる先進的な女性たちがファッションをリードし、服の装飾性は優雅な方向に上って行き、ビジューファンタジー(仏:Bijoux Fantaisie)にゆだねられる。モード誌をバルビエやラブルールのイラストレーションが飾り、狂乱の20年代「レザネフォル(仏:Les Annees Folles) / ローリングトゥウェンティーズ (英:Roaring Twenties)」を迎える。スコット・フィッツジェラルドの小説「華麗なるギャツビー」にその時代は鮮明に描かれている。
ファッションの100年単位の繰り返しを鑑みると、オリンピック招致成功もうなずける。ジャポニズムの再来を呼び起こし、2020年代の東京は、ファッションの中心地足りうる魅力を手にする。
ボタン百物語 その16 by button curator